ボランティアセンター開設のノウハウ


玉野市社協さんに体験談とノウハウを聞いてみました!

[2004-11-24]

 岡山県南部に位置する玉野市では、2004年だけで2度の大きな災害を経験されました。 それまでは「災害に縁の無い土地」と言われていただけに、ボランティアセンターの立ち上げという 経験もありませんでしたし、その2度はそれぞれ「台風16号:高潮災害」「台風23号:土砂災害」 と災害の種類も違うということで、まったく別のノウハウや教訓があったと思います。そこで、 岡山県では同時に多くの災害があった16号、23号のときにもいちはやくボランティアセンターを 立ち上げられ、またその運営も上手くいっていた玉野ボランティアセンターの皆さんにお話しを 聞かせてもらうことにしました。

 お忙しい中、時間を割いて貴重な体験談やノウハウを教えて頂きました玉野市社協の方々には 感謝の言葉もありません。 この場をお借りしてお礼を申し上げさせて頂きます。

 この座談会への参加メンバーは玉野市社協からは高木事務局長さん(以下「高木」)、 石東さん(以下「石東」)大賀さん(以下「大賀」)堀部さん(以下「堀部」)井上さん(以下「井上」)

RHS瀬戸内からは田中(以下「田中」)と私:梶原(以下「梶原」) の計7名でした。敬称を省略させてもらっております。

 実際の談話はかなりくだけた話でしたが、要約をする段階でかなり硬い印象になってしまっているという のをあらかじめご了承下さいませ。

****まずは質問内容の一覧表を皆さんにお渡ししました****

高木:(質問の一覧表を一読して)「難しい質問じゃなぁ〜!」

梶原:「いや、答えれる範囲だけでいいので。マズい質問内容はノーコメントで構いませんので(笑)」

高木:「まず『最初の台風の時、どういう基準でボランティアセンター(以下:VC)を立ち上げることにした のか?』について。台風の直後は私達もどういう被害状況か全く判らなかった。市役所に車を貸しに行った 職員が2時間以上も帰ってこないので『これは大変なことがあったのかな?』というのは想像が出来た。 その時点で『これは何かVCでもしないといけないのかなぁ〜?』という感じはあった。自分とこの施設が二箇所 壊れていたのでその対応に追われた。職員も3名被災していた。結局、VCを立ち上げることになったのはその次の日 (9月1日)だったが、当初は市役所も被災者名簿がなかったので『それならうち(玉野市社協)はVCをできないよ』 と伝えた。福祉事務所がうちの(玉野市社協の)民生委員さんが毎年調査してくれている高齢者・独居台帳を持って 帰って被災者の処にマルをつけて返してくれた。その日のうちに民生委員会に話をさせてもらった。」

梶原:「支援の対象を主に『独居老人』と決められてましたが、その理由を教えて下さい。」

高木:「やっぱり『社会的弱者の保護』の観点から。『社協』がするからには『社協本来の目的』に沿うような 活動にしなければならない。やっぱり出来ることには限度がある。なんでもかんでも出来る訳ではない。 そこである程度最初は対象を絞って(つまり独居老人や高齢者だけの世帯や身体障害者世帯など)やりたいと。 対象を広げたときは同時に収束もどういう風にするか考えておかないといけない。県社協さんからもそういう アドバイスがありました。どうしても手を貸してあげないといけない人以外はまず『自助』で、それからお互い 近所同士での『互助』でなんとかしてもらう。これは市長が常日頃おっしゃっていることですね。」

梶原:「災害発生当初はノウハウなどがなかったと思いますが、『マニュアル』に当たるものはどこから入手 されたのでしょうか?」

高木:「来ていただいた県社協さんが『組織図』とか『ボランティアの申し込み書』などを全てパソコンの中に置いて帰って くれました。だから『マニュアル』に当たるものは県社協さんから頂きました。また、今考えると、災害ボランティアと いっても、私たちのような経験のない社協職員と一般のボランティアだけでは、VCは活動できなかったと思います。 幸い県社協からRBやRHSの皆さんを紹介され、大変助かりました。ありがとうございました。」

梶原:「インターネットやマスコミを通じて宣伝したりボランティアの募集をされたと思うのですが、具体的 にはどういう手段を使ったり、注意したことなどがあれば教えて下さい。」

高木:「市の記者クラブさんに『災害ボランティアセンターの開設をしますから』と言ったら向こうから取材に 来てくれました。」

石東:「ラジオは岡山RBの森田さんが(FM岡山に)広報してくれたのと、記者クラブさんにはこちらから広報 したのと。それで記者クラブさんも大体の情報を持っておられるので、詳しい状況を向こうの方(記者クラブ) から聞いてくれたというのもあります。だからそれを記事に書いてもらって、ボランティアの参加者が集まって もらったりというのはありました。」

大賀:「県社協さんもメディアは随分と仲介してくれてるんですよね。」

高木:「うん。県社協さんも陰でなんやかんやと助けてくれてるから、だから上手くいったというのもあると 思う。うちらだけじゃ、なにも出来てないと思うよ。」

梶原:「具体的に県社協さんがしてくださったことってどんなことがありましたか?」

高木:「(災害があった)あくる日にはもう来られたよね。」

梶原:「そうですよね、ずっと入れ替わりたち替わりで来られてましたもんね。」

石東:「コーディネートの担当をされてたというのと、あと、県内の市町村社協さんにボランティア募集をされて いたというのと、繋がりのある大学とかに声を掛けてくれたりとか。」

高木:「玉野市外の募集は全部、県社協さんがしてくれた。私らは全然そこまで手が廻らなかったし。」

大賀:「県内には県社協さんがボランティアコーディネーターのメーリングリストなどで随分声を掛けて 下さったみたいですし。うちにもメールが入ってきてましたから(笑)。」

高木:「県庁の職員さんにも随分声を掛けてくださったみたいで、200名くらいは来てくれてたかな? 中には『ボランティア休暇を取って来ました』という方もおられたし。」

梶原:「では、『VC開設当初、まず何をしなければならなかったか?』ですか?」

高木:「・・・明日まず何をするか?明日、ボランティアさんが来られたら何をするかというのをまず考えた。VC開設した 日は・・何時に帰ったかな?帰ってないかもしれんな(笑)。ここ(玉野市社協)も避難所になっていたから、 昼はVCの運営をしながら、夜は避難されてくる方がおられるから2〜3名ほど世話係を置いておかないといけないし。 だからこの辺皆(石東さん、大賀さん、堀部さん、井上さん達のこと)一日は寝てない日があったんじゃないかな? 特にこの人(石東さん)なんかは玄関で寝てたし(笑)。」

梶原:「台風16号は『高潮被害』、台風23号は『土砂災害』と種類が違いましたが、どうでしたか?」

高木:「まず作業の内容が違いますよね。それから被災されている範囲が違う。(土砂災害の方が)随分と 限定されているし。それから作業の種類によって危険箇所があるのとないのとで違う。高潮災害の方は潮が 引いたあとはそれほど危険性はないので大量のボランティアさんを「ポーン!」と送り出すことも出来るけど、 土砂災害では危険な箇所が多いので、危険な箇所に送り込む難しさや怖さはありましたね。」

梶原:「台風23号(土砂災害)のとき設定されていた『特別地域』は、何を基準に設定されたのですか?」

高木:「いやそれはこちらの独自な判断で決めました。宇野七丁目の死者が出られた地域は『独居老人』などで 限定したら対応出来ないから、『ここは全部いこうや』と。あとの点在する地滑りの地域は独居老人の方を 優先で行おうと対象を絞ってみました。で、特別地域の中でも家が倒れてきている下などは危険ですので、 『危険ライン』というのを設置させてもらって、そこから先は玉野市社協ボランティアとしては入らないという ことで決めさせてもらった。それで地元の方には事情を説明して、一応納得してもらいました。」

梶原:「それは絶対必要な措置だったと思いますね。」

高木:「『特別地域』の中は独居老人のお宅は一軒、老人のご夫婦のお宅は一軒で計二軒しかなかったので 本来の社協としての業務はその二軒をしたらおしまいだったのですが、土砂災害の酷かった地域は『特別地域』にして 指定して、ここは差別なく全部やってしまおうと前日の晩の作戦会議で決めました。」

梶原:「最初にVCを立ち上げたときは平日ということもあって参加者は10名とか20名とかの少数でしたが、 土日になったら急に300名以上とかに膨れ上がったじゃないですか。少数のスタッフで大人数のボランティアさんを 廻さないといけなかったうえでの苦労ってどういうのがありましたか?」

堀部:「16号のときには(土曜日の)前の日に、(岡山RBの)森田さんが『土日は桁が違いますよ』と教えてくれ ましたし、(RHS瀬戸内の)水戸川さんが『*1 ローラー作戦はどうですか?』と提案して下さいました。 (このときは被災世帯が多かったので、ニーズ調査が間に合わなくて、さらにボランティアの参加数は多くなる と予想されたという事情がありました) それで、ガーと出て行ってもらって一軒一軒、ニーズを拾っていってもらいながらその場で作業をしてもらって 次に行くというのをさせて頂きました。ローラー作戦の場合はそれほど難しい作業はなかったかもしれませんが、 ローラー以外の最初から確実に難しい作業があると判っている場所は(例えば床板を剥がさないといけないとか 消毒をしないといけない場合など)、核になってくださるボランティアさんがいてくださったので、その方を中心 にしてグループを作る。また核になる方が(不足している為に)グループに入れないのであれば、必ずその方に 現場に連れて行ってもらって作業内容を確認してもらって帰って来てもらうという形の体制が取れたので、そういう 意味では大量のボランティアさんが来られましたが、まぁなんとか対応出来たかなぁ?と。核となるボランティア、 経験豊富なボランティアさんというのは非常に重要な位置付けだったですね。 『もう二日続けて同じ現場に行かれているから、もう(核となられる方がおられなくても)大丈夫かな?』と思って 送り出しましたが、後になってこちらの方に『どうにもならないので応援をよこして下さい』ということになって、 急遽、経験豊富な方にフォローに行ってもらったりしたということはありました。ですからある程度、災害復興の 手法を判っておられる方、被災者の方と話が出来る方というのがグループの中に一人いる、もしくはまずは紹介して もらう方が必ずいるということが必要でした。そういう方がおられないと、いくら自分達社協職員が本部で『あっち 行ってくれ、こっち行ってくれ』と行っても現場では何も動かないんだろうな?というのは思いました。」

*1ローラー作戦:ローラーをかけるように被災地区のニーズを取りこぼすことなく徹底処理するので、ローラー作戦と呼びます。

梶原:「丁度ここにおられる方は16号の時に設置していたブランチ(出張ボランティアセンター)の責任者の方が 3名揃っていますが(東児市民センター:井上さん、玉野市児童館:堀部さん、日比市民センター:大賀さん)、 あの施設はなぜ借りられたのですか?」

高木:「玉野市の海岸線は44kmもあるので、資材を置く場所と休憩する場所を作った方がいいのではないかということで 作りました。本部から案内するのは拠点までの地図をお渡しして、拠点から現場までの詳細な地図は拠点でお渡しして案内させて もらいました。ですから拠点は資材を置く役目、休憩する場所(お弁当を運ぶ場所)、来られたボランティアさんを現場まで 案内する役目、センターだけでは大量のボランティアさんを捌けれないので、とりあえず拠点に行ってもらうというワンクッションを 置く役目などがありました。駐車場もありましたしね。16号のときはそれで良かったんですが、23号のときは駐車場がない 場所で大きな被害があったので拠点は設けなかったんですけどね。(*昼ごはんを食べる場所として日比市民センターは使わせてました)

梶原:「23号のとき、『老人クラブ集会所』は使わせてもらいましたよね。」

堀部:「たまたま使ってもいいよということで使わせてもらいました。あまり荷物も持ってくる方もおられませんでけど。」

梶原:「 あの『玉野セット(タオル、お茶のペットボトル、ゴム手袋のセット)』は毎日どうやって用意されていた のですか?」

高木:「資材担当の女性二人が物品調達して、前の晩に女性軍を動員して最大200〜300ほど作ってました。」

梶原:「結構あちこちの災害現場は見てきたのですが、ああいうセットを「ホイ」と受付のときに渡してくれる所って 結構珍しいんですよ。」

高木:「誰の発想か忘れましたが、女性の意見を多く取り入れているというのはありましたね。」

堀部:「うちのHP見たり、色んな場所でどういう物を持って来ればよいか知っているんだけれども、やっぱり忘れる 方もおられるので、よかったですね。」

高木:「ペットボトルは『熱射病対策』。とりあえず朝は一本持って行ってもらう。そのうち『タオルも要るでしょう』 ということでタオルも用意する、『ゴム手袋も要るでしょう』ということでゴム手袋も追加するという風に増えていき ました。」

梶原:「調達するのに苦労した物を教えて下さい。」

高木:「全てにわたって苦労しましたね、ハンパな数じゃないから(笑)。」

梶原:「23号のときの『土のう袋』がありましたよね。4tトラックにビッシリ隙間無く詰まっていた土のう袋でビックリ しました(笑)。確か二万数千用意されたんですよね?」

高木:「いや、二万どころじゃない、全部で八万近く用意しました。うちにいくらか残っているのと市役所にある程度 返したので、6万ほど使いましたね。毎日、晩のうちにそこに一万二千用意していたのが、次の日の10時には無いんだ もん(笑)。あれには往生した。市役所の災害対策本部を通じて倉敷市役所、県社協さんから県庁に。それから県社協さんが 独自に建設業者を廻ってもらって、一万数千用意してくれたかな?  ペットボトルなども土日とかでは店は閉まっているしハンパな数じゃないし、、スコップなども建材屋といっても10本 ほどはあるけど30とか40とかいうとすぐ無くなるから、何件かは建材屋に電話して調べてもらったりとか。 『市内で資材調達する』というのが大前提ですから。調達できるものは学校で一輪車借りたり、井上君がいた東児市民センター などでは館長さんが地元の方だったので、一輪車などが無かったりしたら『すみません、近所で一輪車をかき集めて 下さい』と頼んだら集めてきてくれたりとか。

梶原:「最初の時、消石灰はすぐ手に入りましたか?」

高木:「最初は手に入らなかったなぁ。初めて買ったのは農協さんから買いました。後になって市役所が大量に石灰 を持たれているということが判ったので、市役所もおそらく仕入れたんだろうけど、最初のうちは全然仕入れが間に合わ なかったので皆さんの需要に間に合わなかったというのはありました。で、農協の肥料用の石灰を放出してもらいました。 農協さんも在庫が尽きるほど出してもらったけど、最後のあたりでは『ほんじゃぁ、買い戻しつきで50俵』とか。 充分に買ってますからね(笑)。」

梶原:「いや、僕らも結構充分に撒かせてもらったし(笑)。」

高木:「マニュアルでは『石灰などは調達しなければならないが、スコップなどは(ボランティアさんに)持ってきてもらって 下さい』となってますが、やっぱり身軽に来て貰った方がいいし、最低限な物資は揃えさせてもらわないと。で、現地に行っている 人が『なにやら出せ〜、かにやら貸せ〜』って電話ばっかりしてくるんだもん(笑)。」

梶原:「いや、僕も散々『ツルハシ出してくれ〜、ジョレン用意してくれ〜、スクレイパー買ってくれ〜』などと言わせて 貰ったし(汗)。」

梶原:「最初『オスバン』などの消毒液も手に入らなかったですよね?玉保育園などで使ったオスバンはどこで手に入れた のですか?」

堀部:「保育園で使ったやつですか?あれは確か保育園の方で確保されていたのを使わせてもらったんですよ。」

梶原:「あの時期って『ここもない、そこもない、どこもない』ってことで、市役所に『消毒に来て下さい』と 頼まなければいけなかったじゃないですか。もちろんそこらへんの薬局とかに行って『逆性石鹸下さい』と聞いても 無いし、岡山市でも底を付いていたと噂を聞きました。」

堀部:「保育園は園長さんが確保しているのを使わせてもらって、一般家庭は消石灰を使ってもらいました。 役所が消毒に廻って来てくれましたね。」

梶原:「これが(愛媛県)西条市などでは石灰が全く無くて、オスバンやクレゾールが一般的でしたよね?」

田中:「そうでしたね〜。」

梶原:「だから災害当初の頃、ボランティアが終わったときに手を洗ってもらうのに逆性石鹸などが手に入れたかったの ですが、手に入らなくてあきらめたんですよね。」

堀部:「ウェルパスくらいならあったんですけど、保健師さんに『ウェルパスは使えないよ』と言われました。」

梶原:「ウェルパスって病院とかに置いている手の消毒用のアレですよね?

堀部:「保健師さんに『ウェルパスで建物の消毒って出来ないんですか?』と聞いてみたら『ダメ!』って。」

梶原:「他に物資の購入とかで苦労された物ってありました?」

堀部:「あぁ、『携帯電話』では苦労しましたよね〜。」

一同:「あ〜あ〜、そうそう!」

梶原:「あ〜あ〜、最初、電話が通じなくて(笑)」

井上:「通じないB社の携帯を無理やり3台だしてもらって(笑)。そのB社の携帯の店も水害でね、残っていた 3台を全てもらって使ってみたら、玉野社協がB社の携帯が全く通じない場所で苦労した(笑)。」

高木:「それが冷静だったら判るのにね。私もここに勤める様になって、B社の携帯が通じないからD社の携帯に替えてる のにね。それで次の日にすぐD社の携帯切り替えてもらいました。『絶対携帯は要るだろう』ということは想像出来た のですぐ手配はしてたんですけどね。

それから次の日の反省会かなんかで、いろんな電話がいっぺんに掛かってくると混乱したから、これは『人をよこせ』と いう電話、これは『物をよこせ』という電話、これは『その他のこと用』の電話というふうに3つ分けて電話を設置しま した。携帯の電話番号を変えて、この携帯が掛かってきたらこの人が取る、この携帯が鳴ったらこの人が取るというふうに 決めて。物資の問題は物資担当が出た方が話は早いし、他の人が出ても混乱するだけだからね。」

梶原:「それもノウハウですよねぇ〜。」

石東:「それで恐怖症になったんですよ〜。」

高木:「『ボランティアの人が不足してるよ』って電話が鳴ってる〜って(笑)。」

梶原:「台風23号のとき、ボランティアの方を大量にバスを借り切って一気に送り迎えしてくれてたじゃないですか。 あのバスってどうやって借りられたのですか?」

高木:「あの時、社協のマイクロバスって2台のうち一台しかなかったんですが、もっと要るから手配したんですけどね。 16号の時、築港地区をローラー作戦してもらったときに大勢のボランティアさんを30分以上も待たしてしまって、 それが評判がとても悪くてね。『あんなことしちゃいけないよ』と言われたので、バスを一台調達することにしたのですが。 これは玉野市の政策であるのですが、『老人団体や福祉団体が行事に使う場合はバスを一台5000円で貸し出します』 という制度があります。ま、それに乗っかったというのがありましたね。うちが事務局を預かっているというのも ありまして「まぁ5000円くらい払ってもいいかな」ということで。実際は5000円じゃないんですよ、不足分は 玉野市が払ってくれてるんですが。ただ大量にさばかないと、折角早く来てくれているボランティアさんも一時間も待たしたら 気を殺ぐから。」

梶原:「あれは凄いと思いましたよ。」

高木:「いや、ただバスが無かっただけ!(笑)」

井上:「それで最初の日に借りて、最後の日も2台借りましたね。和田の現場に大量に送り迎えするのに使いました。」

高木:「玉野光南高校の学生さんが150名来て下さったときも借りました。あれは3台借りましたね。」

大賀:「そうそう、(月曜日の)試験が終わってから来てくれたんですよね。」

井上:「150人来ると判ったのが12時頃で、それで急遽バスを借りたんですよね。」

梶原:「そうそう、11時頃までは『今日は参加者が少ないねぇ』って感じでしたが、12時頃になって『150名来ます』 と判ったので現場は大混乱(笑)。仕事に行く一時間の間に大急ぎで仕事の段取りをして帰った覚えがあります。」

高木:「両備さんもよくヤリクリくれてバス3台用意してくれたりね。普通、遊んでいるバスなんてないハズなんですよ。」

***その後、いろんなヤリトリを教えて下さいましたが”カット”させて頂きました(^^;)***

高木:「16号のときは車を乗り合わせしてもらってブランチに行ってもらったりすることが出来たのですが、23号のとき は駐車場が無かったので、その意味では苦労しましたね。資材の運搬にしても人の移動にしても。物を下ろしても運ぶ手段が 無かったり、土のう袋なんかでも運ぶだけで人海戦術をしなければならなかったので、その人を運ぶ手間もありましたし。 駐車場が無い場所などは大勢で車で行くと近所の人に迷惑がかかるので、バスなんかで『ダッと行って、サッと帰る』っていう のは非常に良かったんじゃないかな。」

梶原:「VCを開いていたころの皆さんの一日のスケジュールを教えて下さい。」

石東:「朝は7時半集合で、まずテントの準備をして、ミーティングをして、8時半から受付開始、9時から16時まで 活動して、それが終わった後でまず外の方も含めた反省会(18時ごろ)をしてそれで出てきた反省点や上がってきたニーズ などをまとめて、その後は職員だけでの反省会。それが終わった後であくる日の準備をしてました。」

梶原:「平日などの、ニーズは多いんだけどボランティアさんの集まりの悪い日の苦労やボランティアさんを集める苦労 などを教えて下さい。」

石東:「そりゃ、もう、局長さんが半ば強制的にあちこちから集めてくれて・・(笑)。」

堀部:「被災されてた家も、やっぱり平日はボランティアさんが来られるのが少ないんだろうな、というのは覚悟されてた みたいだし、頼むなら土日かな?というのはあったと思いますよ。さっきも言われてましたけど、学校行事が無い時、来て 下さった学生さんとかもありがたかったですよね。」

石東:「少ないと判っている日は、ニーズを広げても仕方が無いので、今あるニーズのなかで対応出来そうなものをピック アップして対応するというふうに決めてましたね。」

高木:「かえってボランティアさんが少ない日はどこへでも行ってもらうことが出来ましたが、支援活動の最後のあたりでは ボランティアさんは宣伝の効果もあってドンドン来てくださる、仕事は無くなってくる、どうするか?で悩みましたね。 16号の時は『ローラー作戦』でニーズを掘り起こしながらそれを片付けてもらいました。23号の時は三井造船の方が 来られる、学生も大勢来られる、土のう出しに大量の人数は要るが、この1箇所以外では仕事量は非常に少なくなっている、 人が何十人も余るという話をするときが一番辛い。要は終息する時期が非常に苦労する。」

梶原:「終わらせるときならではの苦労などを教えて下さい。」

高木:「16号の時は終わらせたのは平日(金曜日)だったのだが、もしこの土日にVCを開いたら数百人集まるのが目に見えて たから、金曜日で無理矢理切らざるを得なかった。」

高木:「今回の23号では土曜日・日曜日で雨が予想されていてね、それで『土曜日だけで終わらせるか』ということに決断して。 それで最後は三井造船や労組関係の方々を御願いした。日曜日にお願いしていた高校生には断る形となってしまいご迷惑を お掛けしました。せっかくやる気になってくれているのにもったいないことでした。」

梶原:「それから現場の方でもいろいろ最後の日は混乱してましたよ。例えば、私は午前中は三井造船さんの敷地の横 の倒木の処理に出ていたのですが、昼から宇野七丁目に行って、先日までこの現場に入ってられた団体の方に石灰での 消毒を御願いしてたのですが、『濡れている場所に石灰は撒けない』という理由で放置されてたので、大慌てで特別 地域内の全ての家を廻って、石灰を撒かせてもらいました。前日までにその団体の責任者の方に『濡れていても消石灰 は撒いても問題ありませんから、撒いてからかき混ぜておいて下さいね』と念を押していたのですが、イメージが 合わなかったみたいですね。最後の最後でドタバタしてしまいました。」

堀部:「ホント、終わらせるのは難しいですね。うちの場合、県社協、RBやRHS等ボランティア団体の方々のご協力に よって、無事終わらせることができました。」

高木:「終わるの本当に難しいね、始めるのは皆を説得して『やるよー!!』と言えばいいだけだし。」

梶原:「いやいや、それでも始めるのも難しいですよ!16号の時も23号の時も玉野が(岡山県下で)一番早く 『VCを開設しますー!』と声を上げてられてるし。やらなければいけない規模の災害が起こっているのに、 やってないとこもありますからね、どことは言いませんが(笑)。」

堀部:「やっぱりそこの社協だけでは出来ないんですよ。うちは行政関係では局長に言っておけば話をつけてくれる(笑) 、あとは来られたボランティアさんを私達職員でニーズにマッチングしていけばいいという風に役割分担がはっきり 出来るからいいんだけど。」

高木:「うちは『熱意』は非常に強いものがありましたね。『とりあえずなにがなんでもやるぞー!』みたいな。 23号のときは特にそう思いましたね。23号のときは皆、前にやっているから『もう(VCを)やらないといけない のかな〜?』という雰囲気が職員の方から出てきましたから。それで『それじゃぁやろうか!』という感じになった んだけど。『熱意』が出てこないと出来ないでしょ。」

梶原:「ホント、23号のときは早かったですもんね。水曜日に災害が起こって、金曜日に僕が現場に入ったときは 現場調査とかに来られてましたもんね。」

高木:「いや、一回目の調査はその日に出しているよ。前回の被災者名簿があったのでそれを元に調査してます。 それで何人かの職員に『今回はしないんですか?』と急かされた記憶がありますね。だから熱意があるというか、 使命感があるのは感心したんですよね。」

梶原:「もう一回されているから、ノウハウはあるし。『どうすればイイんだ〜?』と悩むこともないでしょうし。」

高木:「二回目のときはなかったけど、一回目のときは『どうすればイイんだ〜?』でしたよ(笑)。」

一同:うんうん(納得)

梶原:「そういうのもあるので他所もそれがあるからなかなか手が付けれなかったというのがあると思うんですよ。ですから、 『立ち下げる時の苦労』も大きいというのは今になっては判るんですが、まだVCを開いた経験の無い他所からして みれば『立ち上げることの苦労』って目に見えて大きいというのがわかるので、なかなかできなかったり、『仕方ない からやろうか』という感じの処もあったりしたんだろうと思いますよ。」

高木:「やってみればなんとかなるもんでしたけどね。県社協さんがちゃんと下地を仕込んでくれたからね。それと (岡山RBの)森田さんとかがいろいろしてくれたから、あれがなかったらしてなかったかもしれんね!(笑)。 県社協さんには『それではVCを開きます、ご指導宜しく御願いします』と伝えたらその日の昼には来てくれたしね。」

堀部:「資金の面では、共同募金さんに補助金を出していただいて支援してもらいましたね。」

井上:「最初はダメだったんですけどね。」

堀部:「最初から出ると決まっていたら気が楽だったんですけどね。」

梶原:「いやぁ〜、『お金』関係のことって聞いていいのかどうか、すっごく悩んだんですけどね(笑)。」

井上:「やっぱりお金は実際に掛かってますからね。」

堀部:「県社協さんを通じて共同募金会に話をして頂いているみたいですね。」

井上:「共同募金会さんも当初はボランティアセンターの運営で使うことに対しては対応してなかったんじゃないかと 思いますね。最初、僕が事務とか担当していたので共同募金さんに電話したんですよ。その時はお金は出ませんと一旦 断られました。おそらく共同募金さんは被害があったお宅には出すようにしていたと思うのですけど、16号のときの 玉野では全壊家屋というのはなかったので『それでは玉野には出ません』と。そのあと、ボランティアセンター を開設するのに費用を出してもらえませんかと交渉してみたら『それなら出しましょう』ということになって申請の 様式を送ってきました。」

梶原:「凄いなぁ、二度も交渉しているんですね。僕なんかは一回断られたら、もう二度目はしないでしょうね。」

堀部:「これで玉野も『共同募金さんの特別配分を頂けたんですよ』と言えますよね。」

梶原:「ボランティア保険ってどこが窓口になっているのですか?」

堀部:「うちが窓口ですね。」

井上:「あれ、掛け金はうち持ち?」

石東:「いや、結局は共同募金さんもちですね。」

梶原:「一人頭、300円ですよね、それでも結構な値段になりますよね。」

石東:「今回で、500名くらいですかね。ですから・・15万円くらいですか。」

堀部:「突き指された方がおられたから入っていて良かったですね。土のう袋運んでいてつき指されて(笑)。 あとボランティア保険はボランティア作業中の物損事故にも補償されます。ただ、自動車などの事故などは 補償されませんし、チェーンソーなどの事故も補償対象外です。草刈り機などまでは出るみたいですが。」

梶原:「何か物を買い過ぎて困ったということは無かったですか?」

井上:「16号の時は石灰をあまり使わなかったですね。入り口の横にずっと積み重ねられたままだった。23号の ときで結局使ったので良かったですね。」

堀部:「でも判んないのよね、どれだけ買えばいいのか?というのは。どれだけ人も来るか判らないし。軍手やペット ボトル・タオルなどは参加される方が持参していた方が多かった、スコップやジョレン、ミツメなどを持参してください とは言いにくいし、また、周知できないですね。 そういう意味ではこちらがそういう物をある程度は用意しないと作業は出来ない。それをするには十分な量を確保して おかないとどうにもならないですよね。」

梶原:「普段の民生委員さんとの繋がりはどういう風になっているのですか?最初の16号のときに災害が起こった 3日後に初めて玉野に僕が行ったとき、民生委員さんに被害状況を調べてもらってましたよね?」

井上:「森田さんと、(県社協の)石井さんと、梶原さんについて来てもらったんですよね。あれは正直、私の良く 知った民生委員さんの方に行ったんですよ、その方が話は早いから。」

梶原:「いや、あれを見ていて、やっぱり普段から密接な繋がりがあるんだなぁ〜と感心したんですよ。」

井上:「民生委員の事務局というのも社協にありますし、やっぱりその民生委員さんとの繋がりというのは密ですね。 市内に11地区あるんですけど、それぞれの地区で民生委員会というのがあってそこの毎月の定例会へは必ず社協から 一人は参加させてもらっています。それからこちらから御願いすることも多いですからね、例えば共同募金の御願いも 民生委員さんにしてもらっていますから。」

堀部:「民生委員さんに毎年一回、『独居老人』『高齢者世帯』『障害者の世帯』などの追跡調査をしてもらうんです よ。その時、民生委員さんに『これ調べて何になるん?』って言われることがありましたけど、今回こういうことが あったので民生委員さんからもらった名簿を元に、市役所から出てくる被災者の方の名簿と合わせてみて、『独居老人 の方はここだ!』と判る。というのは市の住基でみると実際は独りで暮らしてられるというときも住民票は息子さんの 処に持って行かれているということも多いじゃないですか。ですから正確な物じゃなかったりする訳です。 民生委員さんも中には一人で約400世帯を担当されている方もおられるので全部が全部正確という訳じゃないにしても、 民生委員さんの資料を元に、独居の方などを調べて訪問することが出来た。次回からは『今回はこういう災害がありました ので、次回からも宜しくお願いします』とお願いし易いですし、民生委員さんも自分達のされた苦労があながち無駄じゃ ないんだな、と判って頂けたのだと思いますね。まぁめったにこういう災害が起こったらいけないんですけどね。」

井上:「あのときも民生委員の方に『この近辺で独居老人の方はどこに居ますか?』調べてもらったらすぐにパッと 出たじゃないですか、あれも普段からキッチリして頂いているからですよね。」

堀部:「マスコミの方によく『この度の行政の対応はどうでしたか?』と聞かれることが多かったですが、行政の対応は さておき、自分達の住んでいる地域組織をしっかりしておくことが大切だと思います。今回のような大きい災害が起こった ときじゃなくても助け合いが出来るんじゃないですか?と言わせてもらいましたね。」

梶原:「僕もよく新聞記者さんに『行政への批判はないですか?』と聞かれましたけど、それって、ねぇ?(呆れ顔)」

堀部:「実際16号のときにしても23号のときにしても、現場に行っていたら隣の方が来て声を掛けたり手を貸したり してたじゃないですか。そういう繋がりがある地域であるからこそ私達が入って復興支援をさせてもらうまでの間、災害に あったお宅であったとしても地域であったとしても助け合いながら生活されていけれる訳ですから。誰も声を掛けてくれない ような地域だったらあれだけの災害の後、住んでおられませんもんね。」

梶原:「VCを運営してよかったと思えることって・・・あまり無いと思うんですが(笑)、なにかありましたか?」

石東:「酒が飲めました。最後のお酒は気持ち良かったですよ」

一同:大爆笑!

石東:「VCを開いている数日間は酒を飲む機会が無かったので、終わって酒を飲んだら『こりゃ、美味いな!』と(笑)」

井上:「ありがたみ感じたよね。」

石東:「いや、ホントに出来ない経験させてもらったので、いい経験をさせてもらったというのはありましたね。」

梶原:「僕も勉強させてもらいました(いや、ホント)」

石東:「それからボランティアさんの力というか、ありがたさというのを再認識させてもらったというか、ホント それは正直感じましたよね。」

大賀:「厭々、割り当てで出て来られた○○の方なども、帰るときに『やって良かった!』と。」

田中:「でもそういう方多かったですよね、朝と帰るときで顔が随分と違うというか。」

堀部:「それと、『老人クラブ』の方々あなどれないなぁと(笑)。(*もちろん良い意味でですよ) 要所要所で出来ることを自分達で見つけてやってくださるので助かりましたね。 それと女性の方だったり子供の方だったりもそれぞれ自分に出来ることを探してくれているし、老人の方では昔から 畑をされているだろうから、私達よりはよっぽどにスコップや鍬も使えるし。だから老人クラブの方には凄く助け られましたよね。高校生はもちろんパワーがあるけど。一人では何も出来ないけど、あれだけの方が集まって 頂けると、あれだけのことが出来るんだなぁと。」

梶原:「それでも23号の復興支援の最初の日でしたっけ?体力仕事ばかりが多かったころは2〜3名の方が音を 上げてられましたね。『疲れたので昼で帰ります』みたいな。」

堀部:「あの現場はいけないって(笑)、やはり周りや現場リーダーが気を配ってあげないとね。」

梶原:「僕はあの日、徹夜明けで現場入りしていて。そうしたら現場では活きのいい若者が多いから『ウワ〜ッ!!』と 土木工事していて。現場リーダーじゃなかったけど『休憩しよ!休憩しよ!』ばかり言ってた。ダメだこりゃって (笑)。休もうといっても休まない人が多かったですしね、悲惨な現場を目の当たりにしているというのもあるかもしれない けど・・。」

堀部:「それで、2時か3時になったら老人の方が『何時になったらバスが迎えに来るんじゃろ?』って楽しみに されてたり(笑)。」

梶原:「それから16号の時の総社のボランティア団体の方がおられたじゃないですか、年配の女性ばかりの団体の。」

堀部:「あ〜、あ〜、メンタルヘルスボランティアさんね!」

梶原:「家の外に廃棄する家具を出していたら夜のうちの取り込むお宅があったじゃないですか。そこにその団体さん がワッと入られてそこのおばあちゃんの面倒をみてもらっている間に僕らで一気に片づけを終わらせたりしたことも ありましたよね。あれは助かりましたわ!」

堀部:「あのおばちゃんがたが午前中に入られたお宅は家中が吐きそうなほどの悪臭が立ち込める処に入られたそう なんですけど、『参ったわぁ〜』といいながらそれでも家が綺麗になっていたというので、うちのヘルパーも驚いて ましたよ、パワーですね。聞くとその方々はメンタルヘルスボランティアさんだったということで『あ、納得!』ということに。」

梶原:「あ〜、そうだったんですか!それであの対応の上手さだったんですねぇ〜、納得・・・。」

堀部:「やっぱり『対応の難しい家』っていうのはありますよね、ですから事前調査の時点でそれをキチンと把握しておかないと 上手くマッチング出来ないですね。対応の難しいお宅に一般の普通のボランティアさんが入っても、『何もさせてもらえなかった』 ということもあるわけだから、そういう意味では事前の調査というのも大切なんでしょうね。」

梶原:「行ったら仕事が増えていたということも多かったですもんね、道具が足りない、人手が足りない、時間が足り ない、でどうするか?で悩んだこともあります。本当に現場調査って重要ですし、難しいですね。」

井上:「VCを開いて良かったと思えることなんですけど、ただ単純にいろんな人と繋がりが出来たのは良かったかなぁと。 ただ、あまり街では悪さ出来ないなと(笑)」

堀部:「普段悪さをしているってことやね!(大笑)」

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このインタビューに同行していたRHS瀬戸内の田中さんより以下のレポートを出して頂いております。

【玉野市の災害ボランティアセンター開設のインタビューを終えて】

今年(2004年)玉野市では、今までに経験したことのないような災害が起こりました。

主に台風16号による高潮被害と、台風23号の集中豪雨による土砂災害でした。 特に23号では大変残念なことに5名の方が亡くなられました。

また台風に伴う高潮、大雨、強風、土砂崩れなどにより被災された方々に心よりお見舞い申しあげます。

二つの台風は本当に今まで災害を経験したことのない玉野市民にとって、また岡山という災害の極めて少ない地域の 予想をはるかに越える猛威を振るいました。

しかし、玉野市社会福祉協議会(玉野社協)の迅速な対応と復旧支援への熱意にはボランティアから見ても また玉野の一市民としても大変心強く感じました。

台風によって玉野社協内の施設や関連施設、またスタッフのご自宅も被災されていたにもかかわらず 16号では被害から2日目、23号では翌日からニーズ調査に向われ、 ボランティアセンターを立ち上げられたということをお聞きして改めて対応の速さを感じました。

もちろん、経験や実績のある岡山県社会福祉協議会(県社協)やボランティア団体(岡山RBやRHS)への 協力を早い段階でお願いし、ボランティアセンター開設を決定した判断が重要だったのではないでしょうか。 「開設には <やる気><熱意><使命感>がなければできません」という言葉が大変印象に残っています。 また、ボランティアセンター開設にはお金(経費)がかかるため、開設前にきちんと行政との連携が取れていたことが 現場スタッフなどに不安を与えず復旧支援に専念できたように思います。

実際は玉野市の場合は、災害支援法の適応を受けることが出来たので、開設等にかかった費用は共同募金で 結局は支払って頂くことが出来たと言う事でした。

ボランティアの人員確保にも力を入れられていたようで、(県社協)は市外の県庁職員、社協職員、マスコミ、 (玉野社協)は市の記者クラブ、地元企業などと自然と上手く分担されていたようです。 今回、短期間で2種類の災害を経験した玉野では、災害の違いで対処方法も違ってくるということも 身を持って経験されたようでした。

土砂災害の場合は「被災範囲は限定されているが、危険個所が存在するためボランティアを送り出す恐さがある」 高潮の場合は「危険性のあるところは少ないので、ボランティアを一気に投入することも出来るが被災範囲が広範囲」 ということでした。 具体的な内容としては携帯電話を<物資用><人員用><その他用>と区別して使い 作業効率を上げ、情報なども錯綜しないように担当に直通出来るように工夫したということでした。 今後はいざという時用に<災害用携帯電話>など準備できないかと検討もされているようでした。

またボランティアセンター開設すると同時に、終息する事も大変難しいので閉鎖も常に念頭に入れていたそうです。

開設から時間が経つにつれ徐々に人員は増えていき、逆にニーズは少なくなっていくので せっかく集まっていただいたボランティアさんにどうすれば気持ちよく活動をしていただき 且つ、いつボランティアセンターを閉鎖するかは大変苦労するところだったということでした。

そして、ボランティアセンター開設という貴重な体験から <自助>自分達の身は自分で守る、また他人事ではなく災害に対しての防災意識を高める <互助>ご近所、町内会、地域など身近な人々で相互に支え助け合う <公助>行政による公的援助、支援など それぞれの連携が大切で、どれが欠けていても被災地の早急な復興は困難ではないかと感じられました。

【私のボランティア活動について】

私は玉野の台風16号の災害がはじめてのボランティア活動でした。

阪神大震災の際に「何かしたい」と思いつつ、結局実行に移すことが出来ませんでした。 心のどこかで、「対岸の火事」すなわち他人事と思っていたのかもしれません。 しかし一方で、心のどこかで「あの時、本当に何か自分に出来ることはなかったのか?」 とずっと凄く悔いになっていました。

そして、今回一歩踏み出して実際災害現場へ行ってみて、肌で感じた自然災害の脅威は、 テレビの画面で見たり、新聞を読んだりするよりも、私にとって、とてもかけがえの無い経験になりました。

実際に被災された方々の心労や苦しみを、私が完全に理解する事は、正直、出来ていないと思います。

そして安易に被災者の方に「頑張って下さい」という言葉をかけることは出来ませんでした。

被災者の方は被災された日からずっと十分頑張っておられるはずだからです。

テレビの画面からでは無いリアルな情景は、『いつ、自分の身にも起こる事か解らない』と言う 真実味を帯びて私に迫ってきました。

また、私は自分が参加したいからボランティア活動をさせて頂いているだけなのに 被災者の方から「本当にありがとう」と感謝の言葉を頂くと、こちらが逆に元気をもらったりしました。

明日からも、私はまた一生懸命、精一杯生きようと励まされるのです。

あと一歩踏み出せずに、「どうしよう?」と迷っている人は多いと思います。

「私一人が行ったところで、何にも力にならない。」などとは思わずに、 誰にでも出来ることは必ずあります、自分の出来ることから一緒にはじめてみませんか?

普段の生活では味わえない心地良い疲労感や、人とのふれあいや出会いも、 私にとってはボランティア活動を続けていく大きな原動力の一つにもなっています。




左から堀部さん井上さん大賀さん高木局長さん石東さん。 本日は長らく時間を割いて頂き、ありがとうございました!!また、インタビュー後もいろいろと面倒なことをお願いしまして、 ご迷惑をお掛けしました。 m(_)m
「がんばろう!畑町内会」 相変わらずこの大岩は残されてます。まだ災害は終わっいない象徴みたいに思えます。


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