自分流悪路走破考察


Slovensko

[2002-09-22]

ドイツパイネ工場
短期間いたドイツの工場。「ドイツ人=さぞや勤勉なのだろう」という幻想 はすぐに無くなった(笑)。腹が立ったら、笑いながら「仕事しろー、ドイツ人!」などといって ストレスを発散させる(笑)。半分冗談だが、良い奴もいて仲良しになった。この時はちょうど マルクからユーロへの切り替え時期で、自動販売機なども2種類の表示があってややこしい。 ドイツマルクは東欧でも効果絶大でどこでも使えたが、日本に2万円分くらい持って帰っても、 もう換金出来ない(涙)。


コシチェ空港)
旧共産圏に行った事はこれが初めて。チェコのプラハ空港も相当、ドイツ のフランクフルトに比べると質素だったが、こちらはさらに輪をかけて質素。最初は軍の飛行場 かと思った(笑)。スロバキアの通貨は「スロバキア・コルナ(SK)」という。国外に一歩出る と換金が出来ないという恐るべき通貨である。これも日本に数万円分持って帰ってコレクション に加えている(嘘)。


パーティ会場にて
自分も含めてバカばっかり(笑)。女の子は皆ビックリする程綺麗。これは クリスマスパーティでのワンショットだが、半日以上も踊り続ける奴もいてビックリ。スリボビカ というスモモ系のお酒やウォッカが振舞われるのだが、50度以上もするキツイ酒なので、あまり 多く飲むと死ぬ。当日も何度か現地の子に飲まされたが、飲んだフリをして、床に捨てていたので、 少なくとも2人は現地人を葬った(笑)。なお、ここでも現地の子に怒るときは、ヘタにヘタな 英語で喋っても効果が薄いが、日本語で(しかも岡山弁で)「アホが〜!!なにしょーんなら−!! (怒)」などと怒鳴ると効果絶大。悪意は言語を超える(笑)。

ジプシー村
会社のすぐ側にある鉄鋼所で掘り出したボタヤマとそのすぐ下に住む ジプシー達の村。大雨が降るとすぐ地滑りを起こすと聞いた。この写真の頃ではまだそんなに寒く ないがすぐに前の川は完全凍結。マイナス30度にもなる気候には驚いた。マジで外に数分もいると 死にそうになる。現地の子はケロッとしてるが、温暖な岡山市で育った温室育ちには耐えられない 寒さである。最近、スロバキアやチェコの辺りで大洪水が起きたと聞いたがここの情報が入って こないのでちょっと心配だ。


ホテルから見た風景
ホテルから見た風景。スピスカ=ノバ=ヴェスという小さな街です。 遠くにタトラ山脈が見える。このホテル、当地では最高級だが、湯は大勢が同時に使うとぬるく なるとか、部屋もだだっ広いだけで何も無いと凄い感じだ。空気が乾燥しているので、部屋に帰る とすぐタオルに水を漬けて乾していた。ホテルでも毎日晩飯が食べれるとは限らないので近くの レストランで食べるか買ってきて食べなければいけない。ちなみに一泊は2000円程度。
 日本ではスロバキアと呼ばれる国のことである。チェコと分離して今では単独の国家になってます。 なんでこんな題を書いたかというと、去年仕事で行ったからだ。丁度、出張が決まったのが去年の 今頃だったが、当時は同時多発テロの影響で誰も出張に行きたがらない時期。僕も正直青くなりまし た。

 スロバキアに行く前に北ドイツに短期間いたのですが、こちらはさすがにドイツ車天国。アウディ、 ベンツ、BMW、フォルクスヴァーゲン・・などなど。ハノーファーの近郊で働いていたので、旧 西側だったということもあって田舎とはいえ今にして思えば結構、発展してました。日本での生活に 慣れてしまっていたのでそれでも不便に思いましたが、酒が上手いし安いので僕には嬉しい場所でし た。飯はポテトと肉とすっぱい野菜が多いので、食傷気味になっちゃいましたが、学生の頃、ドイツ に行きたいと思っていた時期があったので、数字を数える程度なら独語も判るので多少は役に立ち ました。パスポートを持たずに電車に乗っていて、鉄道警察に危うく連行されそうになった笑い話 などもありました。ドイツにいた時期(10月頃)は住んでいる岡山市でいうと12月頃の寒さで しょうか?「今よりもっともっと寒くなるよ」と聞いただけでゲッソリしました。ドイツでビックリ したのが、ディーゼル車が多いことです。またそのディーゼル車も随分静かだし、結構速いしで、 乗っている人に話しを聞いたら(もちろん独語は喋れません(笑))、経済性だけで乗っているわけ ではないみたい。自分が乗っているPZJ70は日本のディーゼル車ではマシな部類に入りますが、 それでも乗用ディーゼルやトラック的ディーゼルに慣れ親しんでいるので、黒煙をほとんど吐かない ディーゼルがほとんどだということがビックリでした。トラックなどでも黒煙を吐いている方が探す のが難しいほど・・。いかに日本が環境面で後進国だったのかこんなところで痛感してしまいました。

 さて、お次はお題にもなりました「スロバキア」に移動です。チェコ航空(CSA)のレシプロ機 に乗るときは遺言まで書きましたが(嘘)、なんとか無事にスロバキア東部のコシチェ空港に到達 しました。着いてみてビックリ「うっ、まさに旧共産圏・・・」ボロさの程度が違います。寒い、 暗い、活気がないと当時はビックリしてしまいました。まあそれでも着いたコシチェという街は岡山 市をちょっと小さくした規模はあるのでまだましでした。街中に入ると今まで目にしたことない旧 共産圏側の車が多数目に付きます。スコダ、タトラ、見たこともない恐ろしく古い車、紙で出来た トラバント(笑)。信じられないくらい古い車がバシバシ現役で走っています。物価は日本の1/10 程度なので新車は買えないでしょうが、それでも凄い。さて自分達の働く場所に移動です。どんどん 山の中に入って行きます。岡山県でいうと蒜山か大山あたり(大山は鳥取か?)の道を走っている みたいです。何キロごとに集落がありますが、どれもこじんまりしています。1時間ほども山道を 走ったら、職場に着きました。最初、製鉄工場の廃墟だと思っていたら、中に大きな工場があった のでビックリしました。「こんな場所で働くんか〜?」と正直ブルーになりましたが、いてみれば 結構いい場所でした。

 現地に到着して数日もしたら、もう氷点下を記録していたので雪もパラパラと降ってきました。 まあ山の上の方なのでしょうがないですね。こちらは乾燥しているので日本みたいに「ドカッ」と 雪が積もることはないですが、1度降った雪は解けません。いつ踏んでも新雪のままです。走る 車というと、スタッドレスではなくてスノータイヤみたいな結構硬いタイヤを皆履いています。 さぞや滑るのかなぁ?と思ってましたが、完全凍結した道を皆、時速60kmオーバーで走って ます。運転が上手いというのもありますが、滑りそうな場所に粉砕した砂利を撒いているので、 それで滑らずに走れるみたいです。が、この時期になると車は皆、下半身真っ黒け(笑)。柔らか いタイヤだとすぐにチビて使えないそうな。

 仕事の内容は現地の設備を修理すること、現地の男の子達に設備のメンテナンスや基本的なことを 教えることなどでした。言葉は通じませんが、それでも現地の子達とはすぐに仲良くなって、車の 話などでも盛り上がることがありました。「うちには車が2台ある」というと例外なくビックリし てました。そりゃそうですね、給料は月に日本円で2〜3万円程度。うちの車は2台とも安く買って ますが、それでもこちらの人には通じません。そうそうにお金の話は止めるのですが、「給料は いくらもらっているの?」と皆、しつこく聞いてきます。さぞや日本人は高額取りだと思われている のでしょう(実際その通りですが)。聞かれると最初はお茶を濁してましたが、そのうち「セイム、 セイム(同じ、同じ)」と言って誤魔化してました。まあすぐに冗談と判るので、「確かに僕らの 方がちょっとだけ多いけど、家賃で月に○○万円、子供の保育料で月に○○万円も払っている。 残りはチャリーンと小銭程度」などと具体的に教えてあげると例外なくビックリしています。 その「○○万円」というのが自分の月給より高いのですから当然でしょう。日本の物価が高いことを 説明するのに、酒などは判り易いですね。あちらではビール一杯20〜50円程度ですが、日本では ヘタしたら4〜500円もしますし。ドイツでビールが安いのもビックリしましたが、こちらはさら に輪をかけて安い。逆に飲食店で出てくる水はガス入りが殆ど。ガス無しのミネラルウォーターは ビールの数倍も高価。日本ではタダだよなぁ。知らずにガス入りの水を飲んだら辛くてビックリし た覚えがあります。

 現地の男の子で自分の車を持っている人はマレですが、たまに乗っているのも30年ほど前の スコダだったりする。乗せてもらうと、サイドブレーキは効かない、エンジンもバラバラと動いて いるのが不思議な感じ。「もっとメンテしたら?」と言ってみたら、「会社では設備をメンテ、 メンテ。家では車をメンテ、メンテ」というので大笑いした覚えがあります。曲がりなりにも 動いて通勤に使っているということは最低限度のメンテは当然自分で出来るということみたいだ。 ちなみに会社の設備というのも10年ほど前に日本を出て、各国を渡り歩いてスロバキアに流れ 着いた様な物が殆どな為、古い奴になると30年前の物もある。当然、日本人でも相当古い人じゃ ないとその設備なんかは触ったことが無いんだが、僕なんかも知らない設備ばっかりで最初は 非常に苦労した。「知らない」では通じないし、仕事にならないので最初は知ったかぶりをして 誤魔化してましたが、昔の設備は構造的に簡単なので理解は早くて助かった。(ここらヘンは 車でも一緒か?) その代わり、日本にいて数年に1度あるかないかみたいな大トラブルが毎日 数回発生するのは正直参った。逆にいうとこっちで1年も働けば、日本で恵まれた環境にいるのと 比べると10年分位の経験を詰めれるハズだ。日本に帰る前に、メンテを教えた男の子達に「実は ここに来て初めてこの設備は触ったんだ」と伝えたら、皆ビックリしてました。

 日本車はというと、こちらでは若干トヨタが多かったかな?日産は殆ど見かけず、スズキも 多かった。ドイツではマツダが非常に多かったが、スロバキアではめったに見ない。ランクルは 全く見ず、せいぜい80系を数台見た程度。70系は皆無だったが、ドイツでLJ71Gとおぼしき 旧70系プラドを見た。ジムニーもたまにしかいない。どちらかといえばエスクードは多かった。 サファリは少し見たかなぁという程度。クロカン四駆はそもそも需要が無いのかディスコやランド ローバーやゲレバーをたまに見る程度で殆ど存在してません。不整地が少ないので当然かもしれない。 非常に好感が持てたのは、日本では非常に多くみかけるドレスアップした車が一台も見受けられな かったことだ。どの車も生活に密着していて、車に対する要望もシンプルだ。日本に帰ってきて 下品なドレスアップ(ドレスダウンか?)な車を見るたび、「この国の豊かさってこんな意味の 無いことなんかなぁ?金の使い方、間違えてるんじゃない?」なんて思う。話はドイツに戻ってし まうが、生活水準は日本とそんなに変わらないハズなのに、車は至ってシンプルだ。狭い国のくせ してデッカイ車が多い日本とは違ってあまり大きな車は好まれないみたいだ。家族が多いからと いって、簡単にワンボックスやミニバンに乗り換える感覚はあまり持ち合わせてないみたいだ。 その代わり、乗用車でもトレーラーを引けれる様にした車は随分と多かった。つまり、人を乗せる のは乗用車で十分、物を移動させるならトレーラーでも引っ張ってやれば良いと考えているみたい である。なるほどこれなら普段からデカイ車にのって、無駄にガソリンをバラ撒かなくて済む。 非常に合理的だと感じたし、どちらが車社会にとしては成熟しているか明らかだと思った。

 スロバキア、しかも自分達がいた東部地方では、日本人などの東洋人は極度に珍しいみたいで 随分とジロジロと見られることが多かった。治安は悪くないので怖い目を遭ったことは無いが、 「剣道の段持ちだ」とか言っておいたらある程度のハッタリが効いたみたいで、困ったことに巻き 込まれなかった。合気道やら居合などもカジッたことがあったので、困った奴にはそこらへんを 少し披露しておいたら大人しくなってくれるので、海外では少しはハッタリが利く方が困った事に 巻き込まれずに済むみたいである。多少、困った奴が困った事をしてくれて同僚の日本人が巻き込 まれたこともありましたので。

 でも基本的には非常に良い奴らが多くて一発で好きになりました。素朴だが面白くてパワフルで。 彼らに物を教えるということは、結果的に自分達の首を締めることに繋がるが、純粋に彼らには もっと上達してもらいたい。「勤勉さなら日本人が世界一だろう」と思ってましたが、どうして どうして、結構、真面目な奴もいますし、頭の良い奴も多い。給料差なども考えたらとても日本で 同じ事をしていては勝ち目がないと実感した。自分の仕事はそういう海外の企業と競合することは ないとあぐらをかいている人もいるだろうが、自分の仕事も結局は海外と競争して勝ち抜いている 人に依存していることを忘れてはいけないと思う。(日本から製造業が無くなったらどうなるか? を想像してみて下さい) 話は元に戻るが、10年ほどしたらまたあそこに行ってみて、メンテの 基本を教えた連中やあの工場がどういう風に成長したか見てみたいものだ。



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